『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』の文化批評的な背景とMechademiaに掲載されたウェブ小説の論文の関係

最近、私を知った人も多いと思うので自己紹介もかねて
飯田一史 ichishi iida 2025.05.31
誰でも

『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』はなぜ文献ベースで書いたのか? と訊かれた。取材に基づいた本は佐野眞一『だれが「本」を殺すのか』はじめ数多く、同じアプローチで迫ってもしょうがないと思ったから。またそもそも出版産業については誤った思い込みが色々蔓延しているので、それを元に語られてもどうかな、という面もあった。

取材したことない人ほど「取材して訊けよ。訊いたらわかるだろ」と思いがちだけれど、当事者でもわからないことや間違って理解していることは普通にあるし、振っても話してもらえないことや話してくれても書けないことも多いし、取材によって生まれるしがらみ、制約もままある。方法論として、書く対象やテーマに対しての向き不向きがある。今回は書店の戦後史だから、遡るほど重要人物は鬼籍に入っていてそもそも話は聞けないし、あらゆる勢力に遠慮ナシで書きたかったこともあり、取材はほとんど採用しなかった。

ただ草稿のチェックは複数人にしてもらい、現場からの意見はある程度反映されている。

「文献ベースなのは文化批評やってたからですか?」とも訊かれたけれど、取材記事もずっと書いているので関係ない。別の人からは「評論出身とは思えないほど先行文献をフォローしている」(文芸評論家はウラ取りや先行研究のリファーなしで書きがち)と言われた。人によって批評家が文献重視なのか軽視なのか、イメージがまちまちなのが面白い。

私がよく小説やアニメの評論を書いていたことを知っている人も『「若者の読書離れ」というウソ』や『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』で関心を持ってくださった人のなかでは少ないと思うけれど、もともとはそうだ。

私が出版産業、マンガ、ウェブ小説のビジネスモデルに関心を持っているのは、もともとはマルクス主義の「下部構造が上部構造を規定する」「存在が意識を規定する」、ようするに法律や文化といった人間の知的産物は経済的な諸条件なしには考えられない、という発想に影響を受けているからだ(とはいえイデオロギー的には別に左翼ではない。どちらかといえばリベラルだとは思うが、とくに支持政党もない)。
文化産業の下部構造の分析、外部環境分析をするのは当然なのであって、それなしに作品だけ論じることはできない。
これは『「若者の読書離れ」というウソ』が前半3分の1くらいがマクロの読書環境の話で、残り3分の2が作品分析の話という構成に端的にあらわれている。

自分では大塚英志『物語消費論』や宮台真司『サブカルチャー神話解体』などの仕事の延長線上で書いていると思っている。

それがおそらくよくわかるのが先日オープンアクセスで公開されたMechademia 17.2(2025)掲載のScott Maとの共著論文"Japanese Web Novels Media History, Platform, and Narrative"である。

メカダミアは2006年にできたアジアのポップカルチャーを研究する学術誌であり、日本でもよく知られている大塚英志、東浩紀、トーマス・ラマール、マーク・スタインバーグらが過去に参加している。

私はウェブ小説に関して『ウェブ小説の衝撃』『ウェブ小説30年史』を書いている。

そのエッセンスを英語の論文にしないかとScott Ma氏から提案があり(いきなりメールでオファーが来た。Maはオタクでisekaiについての論文もあるが、いまは日本の農政史をチューリッヒで研究している歴史学者であり、本業の業績にはまったく関係ない、むしろマイナスになりかねないのに尽力してくれた)、2023年に書き、査読を通り、2025年に公開された。

この論文で私が主張しているのは、大塚英志やマーク・スタインバーグの議論の批判的な継承である。大塚は歌舞伎などの古典芸能から着想を得て「物語消費」という概念を提唱した。年表を構築できるような大きな世界観をもとにしてさまざまな個別の作品群が生み出される、というモデルである。『機動戦士ガンダム』の「宇宙世紀」に基づく展開や『ファイブスター物語』の年表のなかのあちこちを時系列バラバラに展開するストーリーテリングを大塚は整理した。

マーク・スタインバーグはこの議論を引き継いで日本のサブカルチャーにおける「メディアミックス」(adaptation)を理論化した。

しかし「物語消費」的なメディアミックスモデルは80~90年代には流行したが、実際には日本においては多くの場合「マンガを原作にアニメ化する。アニメ化する際にグッズその他のマーチャンダイジングなども展開される」という段階的な二次展開がなされる。
より制作予算が少ないメディアでの市場競争に勝ち上がった作品が、より制作予算の多いメディアで「原作」として使われる。
この雪だるま式に制作予算の規模が大きくなっていく二次展開のビジネスモデルの今のところの最終形態(?)がウェブ小説→紙の書籍→マンガ化→アニメ、ゲーム化である。


日本人からすると「そんなの当たり前じゃん」と思う人も多いのだが、これは外国では全然当たり前のビジネスモデルではない。

欧米の超大手出版社(というかメディアコングロマリット)ビッグ5から大々的に売り出されるベストセラー作家の新作小説は、出る前から映像化企画が同時に進行していたりする。
そもそもほとんどの国では、製作委員会方式でアニメや映画を作らない。だから、たとえば中国では人気のウェブ小説に対する二次展開のオファーは、各社からバラバラに来て、マンガとアニメと実写映画版でストーリーも設定も公開時期もバラバラになされ、統一感の欠いたIP展開がされることが普通である(『三体』のNetflix版とビリビリ版を思い浮かべてもらえればわかりやすいだろう)。
日本の広義のアニメビジネスのように、委員会を組成する関係各社が「情報解禁タイミングを揃えて」とか、話題を最大化するために様々なリリースタイミングを調整して、みたいなことはやっていない。

話が若干それてしまったが、くわえてマークの著作ではKADOKAWAとドワンゴの合併に注目していた。しかしドワンゴの合併によって新規に生まれたKADOKAWAのIPは少なく、むしろ同時期の2010年代には「小説家になろう」発で『無職転生』『盾の勇者の成り上がり』、エブリスタ発で『櫻子さんの足下にはしたいが埋まっている』、あるいは『ビリギャル』もそうだがウェブ小説やテキスト投稿サイト発からヒットが生まれていたのであり(魔法のiらんどとの提携→買収が前段にある)、その流れで自社で運営するカクヨムができたことのほうが世界的に見ると重要である。
というのもニコニコ動画はべつに全世界向けのサービスではなく、欧米やアジア圏に影響力はない一方で、「なろう」や「カクヨム」発でKADOKAWAが書籍化、マンガ化、アニメ化などで多数関わっている異世界作品はisekaiとして海外でも受容され、人気を博しているからだ。

(共著者のMaに「この論文、スタインバーグ先生が査読する可能性があると思うから、もうちょっと言い方を考えたほうがいいんじゃないかな」と言われ、初稿ではよりはっきりと批判していたが、だいぶやわらげて遠回しな表現にしてから投稿したが、まさにわれわれの論文の査読者のひとりはスタインバーグ教授だったのだった……苦笑)

ところが、お互いによく似たisekai作品が、どういう場所から、どういうメカニズムで生まれたのか、ウェブ小説サイトは相互に連携している日本のサブカルチャー産業のなかでどう位置づけられるのかについては、isekaiを論じている研究者にすらあまり知られていない。そこを整理した。

北米発でも中国系カナダ人が中国のウェブ小説サイトの盛り上がりを踏まえて作ったWattpadが北米はもちろん、ヨーロッパや東南アジアでも人気を博し、韓国NAVERに買収されているが、Wattpadはナマモノ(ポップスターのファンフィクション)が強かったり、Wattpadで人気を博した作家はビッグ5から声がかかって「契約金いくら払うから新作を書いて」という欧米の出版業界のシステムに組み込まれていったりする。Wattpadは人気があるのに書籍化されない作家がいるから自社で出版事業をはじめ、映像制作部門へと事業を拡張していったりもした。

ウェブ小説の事業者と言っても日本とはそもそも作家のリクルーティングやIP展開のエコシステムが違うから振る舞いや考えが全然違う。中国や韓国、タイ等々でも、それぞれに違う。しかし文化産業のエコシステムにおけるウェブ小説の役割や、ウェブ小説サイトのランキングやタグのシステムが作品のアウトプットや読者と作品のマッチングにどのような影響を与えているのかに関する論文はどこの国でもほとんど書かれていない。だから「日本のウェブ小説はこういう傾向がある」と書くことで「うちの国ではこうやで」という論文が続いてくれたら嬉しい(もちろん、日本でも後続する研究が出てきたらありがたい)。

『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』も、小売・流通の歴史を扱っているものだが、これを踏まえて小説、マンガなどを論じてもらえたら私としては嬉しいし、自分でもそういうことはしているつもりである。

『マンガ雑誌は死んだ。』では紙の雑誌からウェブ、アプリ中心に移行した場合にマンガビジネスがどう変わるのかを扱っているが、これも「下部構造が変われば生まれてくる作品も変わる」という前提を整理するために書いた面がある。

「なんで文化批評書いてる人間がMBA行ったのか」と他者から面と向かって問われることは実は意外とないので自分で説明すると、1960年代にサルトルは「マルクス主義はわれわれの時代の乗り越え不可能な哲学である」と言ったけれど、いまの時代に避けがたく、かつ理解が必要な思考の枠組みのひとつはビジネスの世界の言語だろうと考えたから、というのがひとつある。

マルクスには「哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきたにすぎない。重要なのは、それを変革することである」というフレーズがあり、マルクス・エンゲルスの『ドイツ・イデオロギー』でも世界を変革することは説かれているが、これをもじってリチャード・バーブロックとアンディ・キャメロンが1995年に発表した「カリフォルニア・イデオロギー」という概念がある。90年代のシリコンバレーで台頭した、テクノロジーによる社会変革志向とリバタリアニズムの野合を批判したものだ。

とはいえテクノリバタリアンは実際にある面では社会を変えている(悪い意味でも、だが)。
最近だとイーロン・マスクがそうだ。

しかしその前提になっているファイナンスやマーケティングなどのビジネスの世界の考え方について、自分は何も知らない。実際に世界を変えること、動かすことにつながった思想(家)なんて、ルソーやロック、モンテスキューの時代ならわかるが、それこそマルクス以降にどれだけあるだろうか。そんなのがあるならめちゃおもろいやんけ。そう思ったからMBAに行った面もある。

当時、ジャーナリストがハーバードビジネススクールに入学して潜入取材して書かれたフィリップ・デルヴス・ブロートン『ハーバードビジネススクール:不幸な人間の製造工場』という本の邦訳が出ていて、最悪そっちの路線で文章書けばいいかなと思ったのもある。

あと当時は編集者だったが、本を作ってもなかなか売れないし、書き手との付き合い方や上司への対処方法について会社ではほとんど教えてくれないし、実務上行き詰まっていたのも大きい。

就職氷河期の末期の世代であり、就活もボロボロでバイトで出版業界に入ったくらいで、社会人としての能力が低いことへの劣等感もあった(大学生活のほとんどを大学図書館で本や論文読むのとリスナーサークルの友人たちと音楽聴きながら酒飲むこと、2ちゃんやしたらば、はてななどネットで暴れることに費やしていたのだから、就職活動でもどうしたらいいか全然わからず、うまくいくわけもなかったのだった)。

理由は複合的だ。

ただビジネススクールに行ってわかったのは、汎用的なビジネススキルが高い人たち、頭がいい人たちはゴロゴロいて、この人たちとまともに勝負しようとしてもムダだな、と。
自分は世界を変革する実務家ではなく解釈をする人間であり、むしろそちらに専念したほうが価値を出せる。大学院に行く前は「転職できそうな業界あるかな」とも思っていたが、外に出ていくよりも、ひきつづき出版業界で活動した方がほかの人間にできない仕事ができるだろう。そう悟ったのである。

■告知

版元ドットコム会員集会2025.6.13にて講演。どなたでも参加可。申込フォームには書いていないけどオンライン配信アリ(アーカイブは未定)なので遠方の方もお時間合えば何卒。

Yahoo!ニュースエキスパートに投稿。

日経新聞にインタビュー掲載。

読売中高生新聞2025年5月23日号「10代 活字回帰」特集でコメント。『「若者の読書離れ」というウソ』(平凡社新書)関係のお仕事。ほかに紙面では中高生の読書・創作活動が取り上げられている。

日本の古本屋メールマガジン2025年5月23日号に「近くて遠い、戦後新刊書店の経営史 (『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』)」を寄稿。

急いで書いたから、今見返すと直したいところがけっこうある……↑

2025年5月27日の文化放送「大竹まことゴールデンラジオ」14時台「大竹メインディッシュ」のコーナーに『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』著者として出演した回のpodcast版が公開されています。

中高生のとき声オタ(声優オタ)だったので文化放送はあこがれの地であり、引っ越す前の四谷時代に一度だけ『アニスパ』の取材で訪れたことがあったのだが、なんと後期の『アニスパ』ご担当の方がゴールデンラジオも担当されていたのだった。
あと火曜日の構成を担当している放送作家の大村さん↓が同じ時期に中央大学多摩キャンパスに通っていたとわかった。世の中せまい。大村さん、今度「みんな知ってるのに1位を取れなかった90年代J-POP」についての本を出すらしい。私が知っている中大文学部哲学科の人はみんな変わっている。

『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』平凡社新書3刷の部数が決まり累計1.8万部に。

「数」も広がればもちろん嬉しいけれど、質的に深く読んでもらいたいとも思ってるので、とくに書店の皆さま勉強会・読書会等お声がけください。
書店員は人件費限界まで削られすぎていて研修の機会もあまりなく、外側の視点から自分たちの仕事を捉える、仕事に活かせるヒントを得る機会が少ない。これは本当に問題だと思っており、書店(員)や学生主催の勉強会・読書会・講演等々であれば月1~2回までボランティアでもかまわないです(何回かやってみて考え直すかもしれないけれど、今のところは)。基本オンラインでよければ。ichiiida@gmail.comまで

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