vol.6 ライトノベル・クロニクル刊行

悲しい夢を見たはずなのに、起きたら何も覚えていなくて、切ない気持ちだけが残るめざめだった。
飯田一史 ichishi iida 2021.03.20
誰でも

2021年の9月末に「2010年代のラノベがざっくりわかる本が作れないか」という相談が担当編集者の小林氏からあり、「なんで僕なんだろう」と思って悩みながらも「誰かが書いた方がいいし、自分が断ったことで誰も書かずに出ないよりはいいだろう」と引き受けました。

「2010年代振り返り本はさすがに2020年度内に出したい」と言われ、企画が正式に通った11月から1月までの3か月で書いた。ゲラ作業含めて4か月。しんど。

本を書きながらそこから切り出すようにその間ウェブ記事にもし、また逆にウェブ記事を改稿して本に収録している――それで執筆が間に合った――ので試し読み代わりにいくつか紹介を。

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大人が知らない間に「若者のライトノベル離れ」が起きていた…!正確には「ラノベの中学生離れ」、なぜ?

ラノベ市場、この10年で読者層はどう変わった? 「大人が楽しめる」作品への変遷をたどる

2010年代を通じて「大人向け」のライトノベルの刊行点数は単行本も含めて増えたけれど、本丸であるはずの文庫ラノベの市場規模は半減。

児童書市場は少子化でも市場規模を維持してきたこととは対照的。

なぜそうなったのかについては作品を論じながら本の中でも考えている。

「涼宮ハルヒ」とは一体何だったのか? 17年の歴史を振り返る 9年ぶりの新刊発売!

『涼宮ハルヒの直観』なぜ“本格ミステリ”な作風に? 17年続く人気シリーズの文脈を紐解く

ハルヒは2000年代のラノベ市場の変化を象徴していて、2010年代以降のさらなる変化を通した眼で見ると「もうこういう『ライトノベル』は出てこないだろうな」と思う。つまり2000年代的なものと現在ではマーケット的にも作品内容的にも隔世の感がある。

『ようこそ実力主義の教室へ』が圧倒的に支持されるワケ ハイパー・メリトクラシー化した学校空間を描く巧みさ

『よう実』は非常に興味深くて、また違った切り口でも論じたいところだけれど、『このラノ』の投票「数」では近年トップ(『このラノ』は「協力者票」と称するブロガーや書店員の票を重視していて、一般読者の投票数がいくら多くてもランキング1位にならないしくみになっている)。そのことの意味は考えたい。

『異世界食堂』『ダンジョン飯』『幻想グルメ』……なぜ人は“異世界メシ”に惹かれるのか?

『異世界迷宮でハーレムを』はいかにして「なろう」の古典となったか?

2010年代後半以降の動きを見ていると、おそらく2020年代半ばまでには異世界ファンタジー小説の人気は落ち着く(というかほかのジャンルが明確に主流に躍り出る)だろうと予想するものの、10年代になろう系を読んで感じたことは記憶として書き留めておきたかった。

『たとえばラストダンジョン前の村の少年が序盤の街で暮らすような物語』のボケと勘違いの笑いの現代性とは

現代ではあらゆることが記録として残る可能性があるために謀略やわかりやすいいじめが成立しづらいこと、誰かを傷つける差別的な発言や行為はフィクションのなかでも避けられるべきことが重なって、勘違いとすれ違いによるボケ、天然な振る舞いが浮上するという構造になっている。ファンタジー作品にもそういう感覚は反映されている。性格の悪いやつは一瞬で刺されて立場を蹴落とされ、素直なキャラや「戦略を練っているつもりだがアホ」なやつによる作劇が時代精神を体現するようになっている。

『蜘蛛ですがなにか?』は蜘蛛に転生したJKの白熱のバトルを描く!…だけでなく人生の機微もある!?

身体が入れ替われば心のありようも変わるということはSFでたびたび描かれてきたし、VRを使った実験でも立証されはじめている(スーパーマンを視点人物にしたVRをやらせるとふだんよりも活動的になるといった研究がある)。

『蜘蛛ですがなにか?』はそれを集団転生ものの群像劇でやっている。

なろう発『回復術士のやり直し』に見る大薮春彦・西村寿行的ハードロマン・リバイバルへの懸念

これは本には入れてない原稿(ラノベやなろう作家による池波正太郎再評価については書いた)。「ざまぁ」と言われているものの一部は、「復讐と陵辱」を軸にした大薮・西村的な男性向け娯楽小説が異世界ファンタジーにガワを変えて現れたものだと思う。

ヨルシカ、YOASOBI、カンザキイオリ……第二次ブーム「ボカロ小説」の特徴は?

半沢直樹とヨルシカ、それぞれの「盗作」と「模倣」

絶好調のソニー、最新映画に見る「小説×音楽×映像」のスゴい戦略 monogatary×YOASOBI×??

『鬼滅の刃』『チェンソーマン』にも通じる? ボカロP「カンザキイオリ」が圧倒的に支持されるワケ

僕は2010年以降に登場したボカロ小説について書いた記事数ではおそらく一、二を争うのではないかと思う(ほかに書いている人間があまりいない)。そういう人間として2020年夏に始まったボカロ小説第二波について注視している。

『ライトノベル・クロニクル』では悪ノ娘、カゲプロ、ハニワを取り上げた。

ボカロ小説は2010年代前半においては広い意味でのラノベだったものの、第二波は広い意味でもラノベではなくなっている。第一波のときですら各種ラノベランキングではほぼまったく無視されていた(票が集まらなかった)、つまり狭義のラノベとは客層が違った。それが第二波がラノベではなく一般文芸化した理由のひとつじゃないかと思う。

ほかにも最近、音楽と絡めた小説の動きはいくつかある。ただ、各メディアに記事の提案してもボカロ以外に対する反応は薄い。住野よるがTHE BACK HORNとのコラボ作品『きの気持ちもいつか忘れる』を書いたけど、THE BACK HORNはカゲプロのじんにもインスピレーションを与えた存在なので、そういうことも書きたかった(いずれ書きたい)。

韓国でも「異世界転生」が流行している? 韓国ウェブ小説の衝撃

この記事も改稿の上、再録。再録にあたって宣政佑氏から下記を追加したいと言われたものの紙幅の関係で収録できなかったので、ここに補注として掲載。日本語メディアにはなかなか登場しない韓国ウェブ小説の貴重な情報。

宣政佑 韓国でウェブ小説市場は、まず大手の方は多くの人気作が誕生したカカオページを中心にしつつ、最近はNAVERもウェブトゥーン人気で大きくなってきました。特に、「ウェブ小説を原作にしたウェブトゥーン」が海外の色んな国で次々とライセンス販売されています。日本では「カカオページ原作ウェブ小説のウェブトゥーンがピッコマで人気」という事情だけが知られがちでしょうけど(NAVER作品はLINEマンガで増えてきていますね)、例えば私が経験しただけでもアメリカ、日本、中国、タイ、インドネシア、フランス、ドイツへの版権契約が行われました。ロシアとイタリアからも打診を受けています。それらの国で興味を持つ作品は殆どは「ウェブ小説を原作にしたウェブトゥーン」です。韓国のプラットフォーム会社を通じて契約される場合もあれば、先方の海外の会社から直接打診が来ることも最近は増えています。それらの会社からは、特に中国からは韓国語が堪能な社員が担当になっていることも多く、欧米では英語や自動翻訳を使ったと思われる韓国語でアプローチする場合もあります。それだけ積極的だということでしょう。その理由としてはやはり、長い歴史から数えられないほどの作品が登場していて、およそ考えられそうな殆どのジャンル、ネタ、試みなどが行われてきたから、と言えます。韓国ではJoara、Munpiaなど老舗のウェブ小説サイトがすにで20年くらいの歴史を持っていますが、それ以前に「ウェブ小説の前身」と言えるような作品がパソコン通信で登場したのは1989年のこと(イ・ソンス『アトランティス狂詩曲』)でした。当時は「オンライン小説」と呼ばれましたがそのオンライン小説で大衆的にブームと言えるほどの「大ヒット作」が登場したのも1993年(イ・ウヒョク『退魔録』)です。その後に『ドラゴンラージャ』(イ・ヨンド、1997)、2001年映画化されたことで有名な『猟奇的な彼女』(キム・ホシク、1999)などがパソコン通信に連載されヒットしました。その後2000年代になってパソコン通信が衰退した後はJoara、Munpiaを中心にインターネットに移され「ウェブ小説」になり今に至ったと言えます。つまり韓国では「ウェブ小説(のようなもの)」が「流行り始めた時期」がすでに30年近くも前ということになる訳です。1989年や1993年は、日本だと『ロードス島戦記』(1988)や『スレイヤーズ』(1989)、もしくは『魔術士オーフェン』(1994)の頃です。日本では「出版市場」で「ライトノベル」が流行っていた時、韓国では「多くの青少年が楽しむ大衆文学」(必ずしも青少年「だけ」ではなく「若い人全般に人気」でしたが、やはり「青少年中心」という点でも、やはり日本でのライトノベル人気と比較できると思います)というカテゴリは、今の「ウェブ小説」に繋がるこれら「オンライン小説」が担っていたということです。それが日本と韓国で何故事情が異なっていたか、そして何故韓国のウェブ小説はヒットしていてそのストーリーは(ウェブトゥーンという形としてだが)多くの国で受け入れられているのか、その背景を語る時最初に断っておかないといけない点です。

なお、『ライトノベル・クロニクル』では中国最大のウェブ小説プラットフォーム「起点」の2010年代半ばころの動きについてもコラムを書いている。東アジアのウェブ小説の相似と差異について俯瞰したかったため。

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outro

ですます調がしっくりこなくて(というかよそよそしく感じて)今回はやめました。

イントロとアウトロだけですます調で、本文はだ・である調がしっくりくる気がする。

内容的にも文体的にも回ごとに話題に合ったものにカジュアルに変えていきます。

興味を持たれた方は拙著新刊よろしくお願いします。

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