vol.5 エヴァとの思い出/シン・エヴァについてのこじらせた感想
シン・エヴァ、結論から言うと、僕は全然だめだった。
絶賛している人もたくさんいるし、そういう人の気持ちもわかる。
めちゃくちゃよくできている。
でも97年公開の夏エヴァで自分の中のエヴァは終わっていたんだなと確認できただけだった。
僕は14歳でTV版を観て、シンジくんに感情移入しまくっていたし、謎本を通じて評論(家)の存在を知り、庵野さんが影響を受けたとされる作品に触れていった。
大塚英志や宮台真司の名前を知ったのもエヴァを通じてだったと思う
エヴァを観ていなかったらサブカルチャー評論に興味を持たなかっただろうし、たぶん文章を書く仕事には就いていない。
中学に入るとアニラジを聴き始めて(きっかけは忘れたが國府田マリ子の『ツイパラ』あたりからだったと思う)、エヴァを観る前にはすっかり声ヲタになっていて、たしか「岩男潤子が出演しているから観てみよう」とレンタルビデオ屋で思って借りた気がする。
実家のある青森県むつ市では本放送はやっていなくて、レンタルが出てすぐ借りた。
アニメ雑誌を買っていた友達が「すごいらしいよ」と言っていたけど雑誌で見ただけでは何がどのくらいすごいのかわからなかったし、「少年エース」に載っていた貞本版を途中から読んでもあまり意味がわからなかった。そういう意味では期待値はそこまで高かったわけではない。ところがレンタルで1巻を借りたときの衝撃は大きかった。
『スーパーロボット大戦』経由で昔のロボットアニメをレンタルビデオ屋でいくつか借りて観ていて、ファーストガンダムの劇場版3部作(当時はテレビ版のビデオは出ていなかったはず)にはドハマリしていたけれど、アムロ以上にシンジくんには「これ、俺じゃん」と思うくらい共感していた。
……このペースで振り返っていくとキリがないのではしょると、エヴァに関する記憶は思春期の記憶とまったく不可分なものとしてある。
そしてエヴァはそうやって僕のような視聴者をキャラクターに感情移入させておいた上で、強烈な否定を突きつけられた作品で、だからこそ特別だった。
どう受けとめていいかわからないから、内省を促された。
子どもから大人になる途上において、夏エヴァの「居心地の良い空間に留まるのではなく、自分に気持ち悪いと言葉をぶつける他者の存在を認めて共生していく」という終わりは、ものすごく大きかった。
シン・エヴァと比べると、前作QのほうがよほどTV版や夏エヴァの衝撃に近いショックがあった。
だけど、シン・エヴァは自分にとってのエヴァ体験とは違っていた。
TV版の時点でシンジくんの魂は救済されていたし、夏エヴァでは人類保管計画を否定して、自分を拒絶してくる他者を受け入れる(だから「気持ち悪い」とアスカに言われる)ことを選んでいたわけで、なんでシン・エヴァで体の良い宥和を結論として選んだのか、僕には本当にわからない。3回目にして最後にやるオチがあれってどういうことなんだろう。はっきり言って後退に見えた。
だって、これが一番最初に来ていたらエヴァは伝説のアニメにはなっていない。「ものすごいよくできたアニメ」止まりの評価だったと思う。
過去作と似たような展開をするのもやめてほしかった。TV版最終2話や夏エヴァは観たことがないものだったけれど、シン・エヴァは「見たことがあるような作品の中での最高を圧倒的に更新」に留まる。
僕はそういうものとしてのエヴァが好きだったわけではない。
こじらせた人間の感想なんだろうと思う。
でも、きれいに完結してほしくなかった。
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